森乃鶯句集 第一集

蝉は黙って死なない。

蝉の一生を、人の一生に重ねた百句。

SCROLL

第一章

土の中

まだ何者でもない。
待つ、耐える、準備する。

土の蝉まだ名もなくて春を待つ

蝉の子は誰にも見えず育ってる

土の蝉急がぬことも仕事なり

蝉眠る地上の拍手まだ要らぬ

土の蝉何者でもない強さ持つ

蝉の夢出口も知らず空を見る

土の蝉今日も変わらず爪を研ぐ

蝉の子よ遅れてるんじゃ育ってる

土の蝉誰にも褒められなくていい

蝉眠る見えない日々が根をつくる

蝉の子はまだ鳴けぬから耳澄ます

土の蝉焦る地上を知らぬふり

蝉の夢小さな穴のその向こう

土の蝉今は静かに負けておけ

蝉ひとつ出番が来るまで腐らない

土の蝉長い沈黙武器になる

第二章

羽化

外へ出る。
挑戦する。
怖いけど踏み出す。

蝉の子が土を破った朝だった

蝉ひとつ昨日の殻を置いてゆく

羽化の蝉怖さも連れて木を登る

蝉の羽最初はみんな頼りない

蝉ひとつ飛べるかどうか飛んで知る

羽化の蝉戻れぬことを風に問う

蝉の殻昨日の自分を置いてゆけ

蝉ひとつ初めて空に値踏みされ

羽化の蝉うまくなくても羽は羽

蝉飛んだそれだけなのに世界変わる

若い蝉枝の高さにまだ迷う

蝉の羽乾く間くらい震えてろ

蝉ひとつ勇気はあとから追いついた

羽化の蝉完璧になる暇はない

蝉飛べば失敗さえも風になる

蝉の殻帰れぬ証を光らせる

第三章

鳴く

自分の存在を世の中に知らせる。
働く、叫ぶ、生きる。

蝉が鳴くここにいるぞとただ鳴ける

蝉の声黙っていては届かない

蝉ひとつ誰も聞かずとも声を出す

蝉が鳴くこちらも今日が締切日

蝉の声朝からすでにフル稼働

蝉鳴いてこちらも負けじとキーを打つ

蝉の声営業電話より強い

蝉ひとつ今日も全力空回り

蝉が鳴く成果は知らぬまず鳴こう

蝉の声いいねの数は気にしない

蝉ひとつフォロワーゼロでも鳴いている

蝉が鳴く向いてる仕事知らぬまま

蝉の声会議の窓を突き抜ける

蝉ひとつ休めと言われなお鳴ける

蝉が鳴く誰かに届くその日まで

蝉の声下手でも声は声である

蝉ひとつ黙ればそこでいないもの

蝉が鳴く生きてるだけじゃ足りぬらしい

第四章

夏の盛り

全盛期。
恋、仕事、焦り、競争。

蝉しぐれ俺の季節と皆が鳴く

蝉ひとつ隣の声がでかすぎる

蝉が鳴く競争相手もまた蝉だ

蝉の恋声量だけでは決まらない

蝉ひとつあの木の君へ声を張る

蝉の声好きと言えずにでかくなる

蝉が鳴く仕事も恋も夏のうち

蝉ひとつモテたいだけで命がけ

蝉しぐれ誰が一番など知らぬ

蝉の声隣が売れてなお響く

蝉が鳴く焦りも汗も止まらない

蝉ひとつ全盛期だと気づかない

蝉の夏予定ばかりが埋まってく

蝉が鳴く休暇申請通らない

蝉の声今日が一番若い夏

蝉ひとつ負けた日だって腹は減る

蝉が鳴く夢も現実もうるさい日

蝉しぐれ生き急ぐのも悪くない

第五章

夏の終わり

衰え、別れ、後悔、受容。

蝉の声昨日より少し遠くなる

蝉ひとつ鳴かない午後が増えてゆく

蝉しずか夏の終わりを知る夕べ

蝉の羽若さのように透けてゆく

蝉の声やり残したことまだ響く

蝉ひとつあの木に今日も君は来ず

蝉が鳴く別れ話の向こう側

蝉の夏もっと鳴けたと今思う

蝉ひとつ後悔だけはよく響く

蝉の声あの日の夢が遠くなる

蝉が鳴く終わると知ってやさしくなる

蝉ひとつ勝ち負けなんてもういいか

蝉の声誰かの記憶に残ればいい

蝉落ちてそれでも空は青かった

蝉の夏短かったと笑えたら

蝉しずか鳴かないことも終わり方

第六章

最後の声

消える前に、もう一度だけ。

蝉の声まだやれるだろ俺たちは

蝉ひとつ七日で足りる夢もある

蝉の声長さじゃないと言っている

蝉が鳴く今日を限りと知るように

蝉ひとつ最後の声ほどよく通る

蝉の声終わりがあるから届くのか

蝉が鳴く生きた証を押しつける

蝉ひとつ静かに消える気などない

蝉の声格好なんてもう要らぬ

蝉が鳴く残り時間を数えずに

蝉ひとつまだ鳴けるならまだ生きる

蝉の声誰かの夏になればいい

蝉が鳴く明日はなくても今日がある

蝉ひとつ最後くらいは好きに鳴け

蝉の声黙って死ぬな夏の中

蝉の声最後の力を振り絞れ